勝利目指し【ワッショイ ワッショイ】 打てよ 走れよ [正尚コール] 光速DASHの疾男(はやおとこ) 狼煙(のろし)を上げる [Sky]七つの海をこえろ[High]母なる大地をふめ 則本と共に先発陣を構成する美馬・岸や、クローザーの松井裕も好調で、ハーマンと共にセットアッパーを務める福山博之は、開幕戦から36登板試合連続で自責点を0に凌いだ。, 5月以降はソフトバンクとリーグ戦で首位争いを展開した。交流戦ではソフトバンクが優勝したものの、3連敗を2度経験しながら10勝8敗の5位で終了した。6月28日にははるか夢球場(弘前市運動公園野球場)でオリックス戦を開催。球団創設13年目にして球団の主催による青森県内での一軍公式戦が初めて実現するとともに、地方球場に強い辛島航が先発で白星を飾った。この試合によって日程上は東北全6県での開催が実現したが、4月13日に福島県のヨーク開成山スタジアムで予定されていた西武戦が降雨で中止になったため、実公式での全県開催は2018年以降に持ち越された。結局、6月の通算成績は12勝9敗1分の勝率.571であった。, 7月には2日にソフトバンクに敗れたことでソフトバンクとのゲーム差が−0.5ゲーム差となり、前年のソフトバンクに続き2位とのゲーム差がマイナスでの首位となる事象が発生した[100]。7月7日にシーズン初めてソフトバンクに首位を明け渡すが、2日後には首位に再浮上した。前半戦最後のカードであったソフトバンクとの首位攻防2連戦で2連勝したため、4年振りに前半戦を首位で折り返した。しかし、その一方で交流戦の終盤から主力選手に故障者が続出し、茂木・藤田一也・ペゲーロ・岡島豪郎・松井裕・今江が相次いで戦線を離脱した。NPBレギュラーシーズン中のトレード期限が迫っていた7月下旬には、このような事情を背景に2015年までロッテの主力打者だった巨人のルイス・クルーズ内野手を金銭トレードで獲得した。獲得当日(26日)のソフトバンク戦から、茂木が遊撃の守備、ペゲーロが一軍に復帰する8月上旬まで一軍の公式戦に出場した。さらにこの試合で則本が入団1年目から5年連続のシーズン2桁勝利を達成し、チームは4連勝と6連勝を1回ずつ経験した影響で、7月を13勝7敗の勝率.650で終えた。, 8月には2日に再び首位から陥落すると、投打の歯車が噛み合わないまま急失速した。前述した故障者のうち、今江以外の選手が相次いで一軍に復帰してもこの傾向に歯止めが掛からなくなった。一時はパ・リーグのレギュラーシーズンでは35年振りにマイナス1ゲーム差で首位に立った[101]ものの、ソフトバンクや3位・西武との3連戦が組まれていた8月第3週から第5週までの通算15試合で、1勝13敗1分と大きく負け越した。首位・ソフトバンクとの差が10ゲームにまで広がったばかりか、31日の西武戦で敗れたためシーズンで初めて3位に転落した。結局、8月の通算成績は7勝18敗1分でシーズン初の月間負け越しを記録した。さらに8月23日のロッテ戦から9月3日のソフトバンク戦まで、球団初年度以来12年振りの公式戦10連敗を記録している。9月2日の対ソフトバンク戦で敗れたことによってチームの自力優勝の可能性が消滅したほか、本拠地での主催試合でも、8月18日のソフトバンク戦から9月9日のオリックス戦まで10連敗を喫した。この間には、前述した攻撃型打線の組み替えを繰り返す一方で春季キャンプ中の故障で出遅れていたオコエがスタメンに再び定着するほど好調を見せた。また、高卒新人の藤平もチームが6連敗中だった8月22日のロッテ戦で一軍初勝利を果たすと、チームの10連敗で迎えた9月5日の日本ハム戦でも先発勝利を記録した。さらにウィーラー・ペゲーロ・アマダーが9月中旬までに相次いで20本以上の本塁打を放ったため、「同一球団に在籍する3人の外国人選手が同一シーズンでいずれも20本以上の本塁打」というNPB一軍公式戦史上初の記録を樹立し、投手陣では則本と美馬が2桁勝利を達成した[102]一方で、岸は防御率2.76ながら7連敗(8勝10敗)でレギュラーシーズンを終えた。, 9月中旬以降は、16日にソフトバンクのリーグ優勝が決まったものの24日に楽天の3位以上が確定した[103]。が、以降の試合で2位に返り咲けないまま10月4日の対ロッテ戦を延長12回引き分けで終了となった。チーム史上初めてレギュラーシーズンを3位で終えた[104]。, ポストシーズンでは、西武とのクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ(メットライフドーム)第1戦においてレギュラーシーズン中の対戦で8戦全敗だった西武のエース・菊池雄星を相手に0 - 10の大差で完封負けを喫した。だが、第2戦からの2連勝によってパ・リーグの優勝チームとして臨んだ2013年以来4年振り(勝ち上がりは2009年以来)にCSファイナルステージへ進出した。パ・リーグが2007年から導入しているCS制度で、ファーストステージの第1戦に敗れたチームがファイナルステージへ進出できた事例はこの年の楽天が初めてである。迎えたソフトバンクとのファイナルステージでは、第1戦から2連勝しCS第2戦から4連勝と上り調子にあったが、則本・岸・美馬を先発に立てた第3戦以降の試合で3連敗を喫したため、4年振りの日本シリーズ進出を逃した。なお、この時点で日本シリーズの出場および制覇回数は1回であった。しかし、過去2回出場したシリーズをいずれも制していた横浜DeNAベイスターズ(セ・リーグ3位からCSを突破)が、この年の日本シリーズでソフトバンクの前に敗退した。その結果、日本シリーズで敗退したことがないチームはNPBの12球団で楽天だけになった。, 日本シリーズの終了後には、チーム最年長の現役選手だった松井稼頭央が、コーチ就任の打診を固辞。他球団での現役続行を希望したため、テクニカルコーチ兼任の外野手として、15年振りに西武へ復帰した。また、巨人から移籍した2013年以降サイドスローの左腕投手として中継ぎで活躍した金刃憲人などが現役を引退。2009年以降もコーチとして楽天への在籍を続けてきた礒部が退団する一方で、ドラフト会議での1巡目指名を経て在籍していた片山博視(2006年入団)・武藤好貴(2012年入団)両投手や、一軍のクリーンアップを一時担っていた内野手の中川大志に戦力外通告を実施した(中川はDeNA、片山はコーチ兼任でBCリーグの武蔵ヒートベアーズ、武藤は入団前に所属していたJR北海道硬式野球部の後継チーム・JR北海道硬式野球クラブで現役を続行)。, ドラフト会議では、東京六大学野球のリーグ戦で歴代3位の通算21本塁打を記録した岩見雅紀(慶応大学外野手)を2巡目で指名。5巡目では、NPBの球団では初めてBASEBALL FIRST LEAGUEに加盟する球団の選手(兵庫ブルーサンダーズ所属の田中耀飛外野手)を支配下登録選手として指名した(いずれも指名後に入団、田中は入団後に「耀飛」の名で登録)。, 楽天が宮城球場の命名権を保持したまま、1月1日付で球場の呼称を「楽天生命パーク宮城」に変更した。, 1月4日には、チームの4代目監督でもあった星野仙一・球団代表取締役副会長が膵臓癌のため70歳で永眠した。球団では同月6日にその事実を公表し翌7日から3日間は楽天生命パーク宮城、オープン戦の期間中には主催試合の開催球場に献花台を設置した。また、星野副会長がかつて一軍監督やオーナー付シニアディレクターを務めた阪神球団との共同運営による「お別れ会」を東京と大阪で開催した。大阪での「お別れ会」開催直後の3月26日には、三木谷オーナーの意向[105]に沿って、星野副会長が監督時代に付けていた背番号77を永久欠番として扱うことが球団から正式に発表された[106]。, 外国人選手については、前年に在籍していた7選手からクルーズ以外の6選手が残留したことに加えて、右の強打者オコエ・ディクソンと新たに契約。また、DeNAから2013年7月に西武へ移籍していた渡辺直人が内野手として8年振り、2015年から3年間ソフトバンクの一軍投手コーチを務めていた佐藤義則が一軍投手コーチとして4年振りに復帰した。ソフトバンクからは、前年の細川に続いて捕手の山下斐紹を西田哲朗との交換トレードで獲得した。, チームスローガンは、「日本一の東北へ」。また、球団創設以来初めてユニフォームのデザインをホーム・ビジター用とも一新した。ただし、レギュラーシーズン中には星野副会長の監督時代の背番号(77)をユニフォーム左胸部分の裏に付ける[105]。その一方で、4月3日に楽天生命パークで開かれた日本ハムとのホーム開幕戦では、星野副会長の監督時代の背番号77を入れた2014年仕様のユニフォームを、監督、コーチ、選手、スタッフ(総勢115名)が着用した。, レギュラーシーズンでは、オープン戦を打率トップで終えた内田靖人を開幕一軍のメンバーに初めて抜擢。3月30日にZOZOマリンスタジアムで催されたロッテとの開幕戦を延長12回の末に3 - 2というスコアで勝利したことによって、球団史上初めてシーズンのスタートを3年連続白星で切った。以降の試合では打線や救援陣がこぞって振るわず、球団史上12年振りに4月中に2桁の借金を喫したため、5月1日には一軍と二軍の間で一部のコーチを入れ替え。一軍の高須洋介打撃コーチと立石充男内野守備走塁コーチを二軍に配置転換する一方で、二軍から栗原健太打撃コーチと真喜志康永育成コーチが一軍に異動した[107]。しかし、開幕から10カード連続でカード勝ち越しに至らないまま、開幕から31試合目に当たる同月6日の対西武戦(楽天生命パーク)に大敗。この敗戦によって、自力によるリーグ優勝の可能性がいったん消滅した。NPB公式戦におけるシーズン31試合目での消滅は、この年のセ・リーグ球団を含めても最も速く、プレーオフ制度によるパ・リーグ優勝の可能性を残していた2005年のチーム(29試合)を除けば1955年の大映スターズ(27試合)に次ぐ速さである[108]。5月9日には福島県内で一軍公式戦(郡山市開成山野球場の対ロッテ戦)の主催を予定していたが、グラウンド状態の不良によって前年(雨天)に続いての中止を余儀なくされた。, 5月29日からのセ・パ交流戦でもチームの調子は上向かず、クローザーの松井裕樹が開幕からの不調、本塁打数でチームトップのペゲーロが交流戦中の不振、中心打者のウィーラーが試合中のヘッドスライディングによる左手指の骨折で相次いで戦線を離脱した。交流戦の開幕投手を任された高卒5年目の古川侑利が一軍公式戦初勝利を含む2勝を挙げたものの、チームは6月16日の対阪神戦に敗れたことで、リーグ戦からの借金が20に到達した。同日の試合終了後に梨田監督が球団へ辞意を申し入れたところ、球団から了承されたため、辞任が決定した。, スローガンは「日本一の東北へ」。 志(こころざし)天高く KA! [本編] 西にこがらしあれども 君は行けるだろう 東北楽天ゴールデンイーグルス(とうほくらくてんゴールデンイーグルス、英語: Tohoku Rakuten Golden Eagles)は、日本のプロ野球球団。パシフィック・リーグに所属している。, 宮城県を保護地域とし、同県仙台市宮城野区にある楽天生命パーク宮城(公式略記は「楽天生命パーク」「楽天生命」[1])を専用球場(本拠地)としている。, イースタン・リーグ所属の二軍の本拠地は、同県宮城郡利府町にある楽天イーグルス利府球場と、仙台市泉区のウェルファムフーズ森林どりスタジアム泉である。, 球団名が長いことから通称は楽天イーグルス。球団略称は東北楽天、法人名は株式会社楽天野球団(らくてんやきゅうだん)である。, 6月に明るみに出たオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併に端を発するプロ野球再編問題の渦中、同年9月に日本プロフェッショナル野球組織の加盟料撤廃(代って預かり保証金制度を実施)の決定を受けて、本拠地を神戸とするプロ野球参入の意思を表明。この時点では根来コミッショナーは「参入は時間的に難しい」と述べていた[3]。9月24日に宮城県をフランチャイズ(地域保護権)[4]とする新球団の加盟を申請した。, 10月13日、初代監督に田尾安志が就任することが発表される[5]。10月22日に新球団のチーム名を東北楽天ゴールデンイーグルス(通称:楽天イーグルス)と発表した[6]。このときライブドアベースボール(呼称:仙台ライブドアフェニックス)も加盟申請を行っていたが、同年11月2日のプロ野球オーナー会議で楽天のみの参入が正式に承認された[7](プロ野球の新規参入球団は1954年の高橋ユニオンズ以来50年ぶり)。新規参入決定後の11月8日、オリックスと近鉄の選手を合併球団「オリックス・バファローズ」と新規球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」に振り分ける「分配ドラフト」が行われ、40選手の楽天入団が決定[8]。「ゴールデンイーグルス」の名称は、東北地方の世界遺産・白神山地に棲息する猛禽類・イヌワシに因む。当初は単に「イーグルス」とする予定であったが商標の関係で、「ゴールデンイーグルス」となった[注釈 1]。なお、戦前に存在した球団である「イーグルス」とは一切無関係である。, 11月17日、新規参入決定後初のドラフト会議に参加。明治大学の一場靖弘を自由枠で獲得したことに加えて、大学・社会人球界から「即戦力」になりうる6名の選手を指名した。さらに、他球団から無償トレードならびに自由契約となった選手を次々と獲得(山﨑武司、関川浩一、飯田哲也等)。また、分配ドラフトでオリックスに指名されたが入団を拒否していた岩隈久志も金銭トレードで獲得している。ドラフト会議で指名した選手のうち、東北に唯一縁のあった5巡目指名の塩川達也(東北福祉大学)は、現役引退後の2018年に一軍のコーチとしてチームに復帰。いわゆる「松坂世代」に当たる6巡目指名の平石洋介(トヨタ自動車)は、現役引退後もチームに在籍したまま、一軍・育成コーチや二軍監督を経て一軍の監督代行を経験し、2019年には楽天の生え抜きとしては初の監督に就任。, チームの新本拠地となる宮城球場は老朽化が著しかったため、楽天側の出資によってプロ本拠地としての使用に耐え得るよう、2箇年計画で増改築されることが決まった。その一方で、球場を所有する宮城県は球場の命名権売却を決め、募集を開始した。その結果、人材派遣会社の「フルキャスト」に年間2億円の3年契約で命名権を売却することが決定し、2005年3月、「フルキャストスタジアム宮城(略称:フルスタ宮城)」に改称される。なお、命名権は二軍のチーム名についても売却を予定していたが、こちらの方は契約先は存在していない。, また、チームの練習場・合宿所は宮城球場に程近い宮城野区内にあるJT硬式野球部(2004年休部)の施設(JT球場など)を活用することを検討していたが、交渉がまとまらず断念。仙台市内での育成施設整備は難航を極めた。一方、二軍本拠地については楽天・ライブドアの参入計画が浮上した段階で秋田県と山形県が誘致に名乗りを上げていたが、楽天側は仙台市に近い山形県を本拠地とすることを決め、山形市近郊の東村山郡中山町にある山形県野球場(現:荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた)を使用することになった。その後、練習場・合宿所などは天童市にある山形県総合運動公園内に整備する計画が立案された(整備までの当座の措置として、山形市内の公共宿泊施設を仮の合宿所として使用した)ものの、選手の大半が仙台市近郊に在住し、また当時は選手の一・二軍間の入れ替えが頻繁であったため、必要性に疑問が生じ計画は白紙化。仙台市内に育成施設を整備する計画に転換した(ただし二軍本拠地は変更しない)。, 新規参入決定直後の秋季キャンプは白地に楽天のロゴが入ったジャージを着て藤井寺球場で行われた[9]。, 2月1日の沖縄県久米島での春季キャンプで本格的に始動。2月26日、新大分球場にて球団として初のオープン戦となる読売ジャイアンツ戦が行われ、4対3で勝利した。オープン戦は16試合で7勝8敗1分だった[10]。, 3月26日にパ・リーグ公式戦が開幕し、楽天は球団として初の一軍公式戦となる千葉マリンスタジアムで千葉ロッテマリーンズと対戦し、先発の岩隈が完投し3対1で勝利した。球団創立以来一軍公式戦で1試合も戦っていなかった球団が、球団創立以来一軍公式戦で戦った経験のある球団を対戦相手に初戦を勝利したのは、日本プロ野球史上初めてのことであった。, だが、翌3月27日の第2戦は打線がロッテの先発渡辺俊介の前に1安打に抑えられ、2リーグ制開始以降としては最大得点差の0対26で一軍公式戦初敗戦を喫した(当該試合記事参照)。その後4連敗し、4月1日、本拠地初戦となる西武ライオンズ戦では初回先頭打者の礒部公一が岡本篤志からバックスクリーン直撃の球団史上初の一軍公式戦本塁打を放つなど、16対5でチームは開幕戦以来のシーズン2勝目となった。しかし4月15日の北海道日本ハムファイターズ戦から29日の西武戦にかけて11連敗で、勝率が2割を切る[11]。このため、4月30日にGMのマーティ・キーナートをチームアドバイザーに(GMのポストは当面空席)、またヘッドコーチの山下大輔と打撃コーチの駒田徳広を二軍にそれぞれ降格(替わって二軍監督の松井優典と同外野守備・走塁コーチ橋上秀樹が昇格)させるなど、コーチングスタッフを大幅に入れ替えた。, 5月6日より、この年から始まったセ・パ交流戦の成績は11勝25敗で最下位に終わった。7月には10勝9敗1分けで球団史上初の月間勝ち越しを記録したものの、8月にはシーズン2度目の11連敗[注釈 2][12]を喫するなどして、8月29日の対日本ハム戦(フルスタ宮城)でシーズン最下位とパ・リーグ全球団への負け越しが決まった。8月中にシーズン最下位が決まったのは1952年における8月20日に決まった近鉄パールス以来53年ぶりであった。9月25日のホーム最終戦(ロッテ戦)終了後、田尾監督のシーズン終了をもっての解任が発表された。最終成績は38勝97敗1分(勝率.281)だった。開幕前からささやかれていた「シーズン100敗」こそ辛くも免れたものの、5位の日本ハムとは25ゲーム差、レギュラーシーズン1位のソフトバンクとは51.5ゲーム差を付けられた。2リーグ制以降の新球団の初年度の成績としては最低の勝率となった[13]。チーム最多勝は岩隈の9勝で、その次は福盛和男の4勝など戦力的に他球団と格段の差があった[12]。分配ドラフトの仕様など、最低限の戦力の保証が一切無かった事が大きく響いてしまった。, 弱者の戦略として「無形の力を養おう!」をスローガンに掲げ、チーム力の育成を図った。この年は前年より補強を進め、西武を自由契約となったホセ・フェルナンデス、同じく横浜ベイスターズからセドリック・バワーズ、台湾からは林英傑、元ロッテのリック・ショートを獲得。, オープン戦では初めて主催試合が組まれたが、本拠地フルスタ宮城での開催は前年同様に改修工事実施のため行われず、倉敷マスカットスタジアム、香川県営野球場、静岡県草薙総合運動場硬式野球場の3球場で計4試合が組まれた。, リーグ戦開幕直前には泉区に練習グラウンド・室内練習所・合宿所が完成(家電量販店大手のデンコードーと命名権契約を結び、「デンコードースタジアム泉」と名付けられた。その後2008年3月末を以って命名権を返上している)。イースタン・リーグ公式戦では使用せず、練習専用施設として使用されるようになる(ただし、アマチュアの社会人チームとの練習試合で使用されることはある)。練習グラウンドと同敷地内に設けられた合宿所は「泉犬鷲寮」と命名された。, 3月25日の開幕戦の日本ハム戦(札幌ドーム)は岩隈が故障のため、前年2勝止まりだった一場が開幕投手を務めるが敗れ、開幕5連敗の後、31日の福岡ソフトバンクホークス戦(フルスタ宮城)でシーズン初勝利。交流戦では5月25日のヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)でリック・ガトームソンからノーヒットノーランを喫した[11]。最終成績は17勝19敗で7位。後半に入ると、8月20日のオリックス戦(スカイマークスタジアム)でリーグ戦初の同一カード3連勝。9月以降の成績を9勝10敗1分としたものの、9月23日の西武戦で開幕から5位以上となることなく[12]2年連続最下位が決定[11]。最終成績は47勝85敗4分で、5位のオリックスとは4.5ゲーム差の最下位。ホセ・フェルナンデスが球団初のタイトルとなる、ベストナイン(三塁手)を獲得。, 9月25日に行われた高校生ドラフトでこの年の夏の高校野球準優勝校・駒大苫小牧の田中将大を1巡目で指名した。日本ハム、オリックス、横浜との競合の末、抽選で交渉権を獲得し、入団している。, 3月24日の開幕戦のグッドウィルドームの西武戦で岩隈が2年ぶりの開幕投手を務めたが敗戦。翌25日の第2戦は2年目の青山浩二で勝利するが、その後4連敗。4月1日のオリックス戦(フルスタ宮城)では3回裏にフェルナンデスと山﨑がそれぞれ満塁本塁打を記録(1イニング2本の満塁本塁打は日本タイ記録)。同17日から19日のソフトバンク3連戦では初のホーム3連勝している。5月には、山﨑が球団初となる月間MVPを受賞。, 7月2日にオールスター戦で8選手がファン投票で選出され[11]、田中、松本輝(故障により出場辞退)、福盛和男、嶋基宏、高須洋介、鉄平、礒部、山崎と楽天の選手が占めた。しかし、実力が伴っているか否かに関係なく選ばれたため、監督の野村克也は中間発表時点で「オールスターじゃなく、オールスターダストや」と苦言を呈し、この年の全パ監督を務めた日本ハムの監督のトレイ・ヒルマンも「ファンのマナー違反だ」と発言した。, 8月は月間15勝。9月も好調を維持し、初の2カ月連続勝ち越し。29日の対ソフトバンク戦(ヤフードーム)で3年目にして球団史上初の最下位脱出を決め[11]、最終的には67勝75敗2分(勝率.472)で3位のソフトバンクにも7.5ゲーム差の4位。対ソフトバンク、オリックス戦では初の球団別シーズン対戦成績で勝ち越している。総得点575(2位タイ)、総失点676(6位)と打撃陣がチームを牽引したシーズンだった。山﨑が球団初の打撃部門タイトル獲得となる43本塁打108打点の成績で本塁打、打点の二冠王となり、田中が球団初の新人王を獲得。, 楽天のホーム最終戦翌日の10月5日、フルキャストとの命名権契約解消で本拠地の名称が元の「宮城球場」に戻り、日本製紙が本拠地・宮城球場の命名権を取得。1月1日に「日本製紙クリネックススタジアム宮城(略称:Kスタ宮城)」と改称(その後、同社の不祥事が発覚。命名権契約解消は免れたが、ペナルティとして社名を削除。2月15日付で「クリネックススタジアム宮城(略称は変わらず)」に再改称した)。, 3月20日の開幕戦のソフトバンク戦(ヤフードーム)では9回裏に逆転サヨナラ3ラン本塁打を打たれて敗れ開幕から4連敗するが、その後7連勝で4月3日のロッテ戦(Kスタ宮城)で球団史上初の単独首位に浮上(2日後に首位陥落)。交流戦では初の勝ち越し(13勝11敗)[11]。6月までは好調を維持したが、7月は24試合で5勝17敗2分と大きく負け越し。シーズン途中で前日本ハムのフェルナンド・セギノールを獲得し、打線強化を図る。だが8月以降も岩隈が奮闘するものの負けが込む。シーズン最終戦となる10月7日のソフトバンク戦(Kスタ宮城)において延長12回にサヨナラ勝ちし、最下位を脱出。65勝76敗3分の5位に終わった。チームの総得失点差は+20で、球団初のプラスとなった。また、チーム防御率も初の3点台でパ・リーグ3位、チーム打率は12球団トップだった。岩隈が21勝を挙げ投手三冠王を獲得パ・リーグMVP、沢村賞、ベストナイン(投手)に選ばれている。そしてセギノールも低迷するチームの中で大きく奮闘した。, シーズン終了後、3年契約が切れることになっていた野村の監督に於ける契約延長が決定。翌年も引き続き楽天を指揮することになった。また、オフには巨人から小坂誠を金銭トレード、中日からは中村紀洋をFAで獲得。小坂は球団初の宮城県出身選手、中村は球団初のFA加入選手となった。, 1月にメジャーリーグベースボールのオークランド・アスレチックスとの業務提携を開始した。WBC開催に伴い公式戦開幕が4月3日に設定されたため、初めて本拠地(Kスタ宮城)でオープン戦を開催(3月23日のオリックス戦と翌24日の西武戦)。, 4月3日の開幕戦の日本ハム戦(札幌ドーム)から4連勝[14]で4月15日まで首位に立ち、一端首位から落ちたものの[12]初めて4月を首位で終え[15]5月11日まで首位だったものの[12]、交流戦では6連敗するなど最終的には9勝15敗の10位。打線の軸として期待された中村紀やセギノールも開幕から低迷し、二軍落ちするなどの誤算もあり7月も8連敗するなど低迷は続く。しかし、8月以降の3カ月で38勝21敗と勝ち進み9月12日のソフトバンク戦では球団史上初となるクライマックスシリーズ進出のマジックナンバー19が点灯し[16]、10月3日の対西武戦(Kスタ宮城)で球団史上初のCS進出かつ、初のAクラス入りを決めた[17]。同9日の対オリックス戦で勝利し、リーグ2位が確定し[18]、CS第1ステージ地元開催権を獲得。最終的には77勝66敗1分(勝率.538)と初のシーズン勝ち越しを決めた。投手陣では3人の投手(岩隈、田中、永井怜)が二桁勝利を挙げた。, 10月12日、野村は球団から監督退任を通告される[12]。10月16日から行われたCSの第1ステージはKスタ宮城でソフトバンクと対戦し2連勝で第2ステージ進出[19] するものの、札幌ドームでの日本ハムとの第2ステージは第1戦では最終回に4点リードを守り切れず、逆転サヨナラ負け[20]。第4戦に敗れ通算1勝4敗で敗退[21]。CS終了後、野村は契約期間満了に伴い退任[22]。, 後任の監督に、この年まで広島東洋カープ監督を務めたマーティ・ブラウンが就任。野村は、翌年3月16日に就任要請を受けていた球団名誉監督に正式に就任している(期間は3年)[23]。, スローガンは「Smart & Spirit 2010 Eagle Fire!

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