気になったことを残していく、ただの日記のはずです。写真を撮りに出掛けたことや、気になった商品を調べてみたことなど、ブログ記事にしています。少しでも参考になれば幸いです。, 鹿島アントラーズのホームタウン 愛知県, 【近畿】 http://health.blogmura.com/tb_entry95172.html, 全然周りに気を配ろうとしない上司、自分が会社で一番"できる"と思っている上司、私のおかげで会社が成り立っていると思っている上司、一見部下のためのようで結局自分のために投資をしている自己愛上司、部下に対して対して為にも何にもならない助言をしていきがっている上司・・・・・・他多数。なんとかしたいですよね。 2018/10/13 その結果を得票ポイントが多かった順にランキング形式で発表しま... 【北海道/東北】 山口県 青森県 大分県日田市「進撃の巨人作者出身地って事で町おこし!とりあえずこの辺に銅像立てときゃ良いだろw」 2020年11月8日. 読んだ人が、3分で元気になれればいいな! シュワッチ!, お風呂に「カビ取り・防カビ コレ1本」塩素不使用の中性洗剤、換気不要で安全安心 漂白はできません, HARVESTY・アトリエジャケットとミリタリーオーバーコートが再入荷しましたよ。, 【動画】みるきーが最恐ホラーゲームに挑戦!まさかの撮影中断のトラブル・・・ゲーム実況デビュー戦はほろ苦い結果に!, 【弐寺×音ゲー】極悪おみくじ ☆12(最高難易度)ランダム選曲で4回連続フルコンするまで頑張る配信3走目【社築/にじさんじ】, 綺麗な顏の山田天陽を懐かしんで・・・蝦夷栗鼠(エゾリス) と キタキツネに癒された旅. 熊本県 芝田山は横綱昇進時に二所ノ関一門の総帥であった稀勢の里の大師匠・若乃花(初代)の二子山から直々に土俵入りの指導を受けており[125]、芝田山が横綱土俵入りの見せ場である「せり上がり」の際の右手のひらの向きについて、右手のひらの上に粘着テープ1巻を置き、落ちないように上に向けたまま実演して稀勢の里を指導する姿や、1987年に若乃花(初代)の二子山が横綱・大乃国の土俵入りを直々に指導した過去の写真、映像が報道された[126][127]。芝田山は横綱引退会見で思い出の一番として、若いころから稽古をつけてくれた一門、阿佐ヶ谷勢の先輩である稀勢の里の師匠・隆の里に初めて勝った相撲をあげており[128]、稀勢の里への指導の最後に、若乃花(初代)の二子山が大乃国の新横綱土俵入り指導で言った「好きにやればいい。横綱がやれば、横綱土俵入りなんだ」の言葉を伝えている[129][130]。1月27日に東京・明治神宮で横綱推挙式と奉納土俵入りを行い、「土俵の鬼」と言われた大師匠・若乃花(初代)が使用した「鬼」の化粧廻しを身に着け、18,000人の観衆を前に雲竜型を披露した[131]。八角理事長は「同じ型をするんだけど、人によってせり上がりが微妙に違うのがいいところ。大乃国さん(芝田山親方)に教わったから当たり前だけど、やっぱり似ているな、という感じがした」と合格点を与えた[132]。, 2月5日に横綱昇進後初の日本大相撲トーナメントが両国国技館で行われ、決勝で東前頭10枚目・貴ノ岩を突き落としで下し、初優勝を果たした[133]。3月6日、大阪市港区にある田子ノ浦部屋の3月場所の稽古場で嘉風と稽古を行ったが、2番目の手合わせで嘉風の頭がぶつかって左目上に裂傷を負い、11針を縫った。稽古を切り上げた稀勢の里は「大丈夫。けがのうちに入らない。痛みはほぼゼロ」と笑顔を見せ、翌日以降も稽古を続ける考えを示した。4年前にも出稽古に来た日馬富士との相撲で、同じ箇所を裂傷したことがある[134][135]。, 横綱としての初の場所となった2017年3月場所は、格下勢をまったく寄せつけず初日から12連勝と好調であった。新横綱で迎えた場所で初日からの12連勝は1場所15日制が定着した1949年以降では、玉の海と旭富士に並ぶ歴代2位タイの記録となった。しかし13日目に日馬富士に寄り倒された際に左肩を負傷した[136]。休場の可能性も囁かれたが、左肩に大きなテーピングをして強行出場。しかし土俵入りの柏手の音すら弱々しく聞こえるほどけがの状態は深刻であり[137]、14日目の鶴竜戦は一方的に寄り切られ、この時点1敗で並んでいた照ノ富士に逆転を許してしまう。千秋楽には左の二の腕が内出血で大きく黒ずむほどけがが悪化している中で、優勝争い単独トップの照ノ富士との直接対決を迎える。優勝決定戦と合わせて2連勝が必要な稀勢の里の優勝はほぼないと思われたが、本割で左への変化から最後は突き落としで勝利、決定戦に望みをつなぐ。引き続いての優勝決定戦では、もろ差しを許して土俵際まで押されたが、体を入れ替えての一発逆転の小手投げが決まって勝利し、物言いなしの奇跡的な逆転優勝を決める。1995年1月場所の貴乃花光司以来となる、22年ぶり史上9人目の新横綱昇進場所優勝を逆転で飾った[138]。また1998年7月場所と9月場所を制した貴乃花光司以来、19年ぶりの日本出身力士の2場所連続優勝となった。, 優勝力士インタビューで稀勢の里は「いやもう、自分の力以上に最後は…。本当に諦めないで、最後まで力を出してよかった」と話すと、はばかることなく涙を流した[139]。場所後の4月に行われた春巡業はけがの回復を優先して全休[140]。5月2日の体重測定では1月場所前の175㎏から9㎏増の184㎏を計測し、増量が負傷の足枷になることを懸念する報道もあった[141][142]。同日、部屋で本格始動したが稽古は非公開で行われた。田子ノ浦によると、三段目力士を相手に20分ほど相撲を取った。午後から両国国技館で行われた力士会に参加した稀勢の里は、相撲を取った感触を「いいんじゃないですか。(けがは)ほぼ問題ない」と明るい表情で語った。この日は約1か月ぶりに実戦的な動きで上半身を使った。これまでは「基本的には下半身中心」の鍛錬を続けていた[143]。5月3日の稽古総見は欠席したが、師匠の田子ノ浦が欠席の連絡を入れ忘れるハプニングが発生(連絡を入れれば「姿だけは見せろ」と説得される可能性があったため、稀勢の里の調整のために田子ノ浦がわざと無断欠席させたという見方もある[144])[145]。, この場所は痛めた左上腕付近の負傷が完治せず、11日目に途中休場。前半戦を6勝2敗で折り返しながら、9日目からは左腕をほとんど使えず10日目には6勝4敗であった[146]。6月15日、休場後初の出稽古では阿武咲と15番取って11勝4敗であり、内容について「見ての通りでしょう。(阿武咲は)いい相撲を取っていた」と話した[147]。26日は番付発表の当日であるにもかかわらず稽古を行っていた。番付発表当日は稽古を休むのが通例であり、ましてや時の横綱がそうした日に稽古場で体を動かすのは極めて異例である[148]。5月29日に開かれた横綱審議委員会の定例会合では稀勢の里が7月場所を休場することを容認する意見が出た[149]。案の定この場所は不調に終始し、3日目には右四つ得意の栃ノ心に左四つで敗れる[150]、5日目にはこの場所は4勝11敗の大敗に終わった勢に敗れるなどして、出場した5日間で2金星を配給。6日目には「左足関節靱帯損傷で約3週間の安静加療を要する」との診断書を日本相撲協会に提出して休場した[151]。この場所では鶴竜も途中休場しており、2場所連続で2横綱が途中休場したのは1980年1月場所以来。1980年1月場所の例は北の湖の引退によるもの(3日目の不戦敗が休場扱い)[152]。横綱在位3場所目で2回以上の休場は昭和以降5人目[153]。武蔵川は7月場所後のコラムで「5月、7月と休んで9月に出てくるくらいでよかったんだよ」と、無理に出場したことに対して苦言を呈している[154]。, 大相撲の夏巡業が30日に始まったが、田子ノ浦は「できるだけ参加させたい」と8月14日の釜石場所での横綱土俵入りで復帰する可能性を示した[155]。10日の常陸場所から途中出場。横綱昇進後初めての巡業参加であった[156]。9月4日の二所ノ関一門による連合稽古では新十両矢後を指名して13番全勝だったが、幕内力士との稽古は実現しなかった。「まだまだ」を連発し、全開宣言は出なかった。芝田山は「間に合うの?」と報道陣に問いかけて即座に「いやいや、間に合わない」と断言。尾車も「続けて相撲勘が戻れば…」と、調整遅れを認めるようにつぶやいた[157]。, 9月場所は「左の上腕筋と大胸筋の損傷で約1か月の安静を要する」との診断書を提出して初日から休場した[158]。この大胸筋のけがは稀勢の里が肉厚すぎるためMRIでは詳細が判明しなかったが、担当医の触診によると大胸筋が約8cm断裂していたという。可動域が消えるばかりか再断裂するため手術しても意味がなく、現役時代に手術はされなかった[159]。10月5日に行われた秋巡業八千代場所では朝乃山と三番稽古を17番行い、15勝2敗であった[160]。11月4日、福岡・大野城市の田子ノ浦部屋九州場所稽古場で髙安と三番稽古を行い、13番で9勝4敗。見守った北の富士は「だいぶ戻ってきた。名古屋(場所)のころはたるんでいた体も張っていた。状態はいい。胸を合わせれば負けることはない」と手放しで褒めた。稀勢の里は「いろいろやってみたいこともできた。(北の富士がいると)緊張感があっていい」と、手応えと感謝を口にした[161]。しかし迎えた11月場所では9日目まで4勝5敗、5敗はすべて金星配給とまったく振るわず、日本相撲協会に「腰部挫傷・左足前距腓靱帯損傷で約1か月の安静加療を要す」との診断書を提出して、10日目から途中休場。1場所に金星配給5個は昭和以降ワーストタイ[162]。, 1月2日の部屋の稽古では髙安と35番取って25勝6敗と、場所前には復調したかのように伝えられることもあった[163]。しかし1月場所は序盤5日間で金星を3つ配給するなどし1勝4敗、6日目から休場した。この休場で5場所連続の休場となり、来場所以降進退問題になる可能性もある。11月場所に続いて2場所連続で3日連続金星を配給し、1930年10月場所、1931年春場所で3日連続配給した宮城山福松以来、1場所15日制定着後では初の記録となった[164][165]。進退問題となるかと危惧されたが、場所後の横綱審議委員会の定例会では北村正任委員長が「数場所全休してでもけがの克服に専念すべき」という趣旨の寛大な意見を示した[166]。また、休場を進言した横審の意見を聞き入れず強行出場した結果、途中休場を喫した事実を毎日新聞は批判している[167]。3月場所に進退を懸ける身であり、直前の1月場所を休場したが、18歳のときから参加している恒例行事である成田山新勝寺の節分会には参加した[168]。, しかし3月場所も大阪入り後は二所ノ関一門の連合稽古には一番も参加せず、四股・鉄砲の基本運動を繰り返すのみで、大幅な調整の遅れが懸念されていた[169]。結局3月8日に師匠の田子ノ浦親方から、左胸・腕の故障が完治していないため、3月場所の昨2017年9月場所以来2回目となる初日から全休を表明[170]。なお横綱の6場所連続休場は、武蔵丸(2002年11月~2003年9月場所)以来となる[171]。2018年春巡業は初日からの休場が発表された[172]。春巡業途中の12日、草加場所で合流し、十両佐田の海と10番続けて取るなど精力的に動いた。関取と胸を合わせるのは3月場所前以来であり、左を固めて当たってから左四つで寄ったり、突き、押しや左おっつけを使ったりして、8勝2敗[173]。しかし持ち前の力強さは戻らず、5月11日、「左大胸筋痛で約1か月激しい運動を制限する」との診断書を提出し、5月場所も初日からの休場が決まり、これで横綱として7場所連続の休場、貴乃花と並ぶワースト記録となった[174]。, 7月場所前には白鵬と約1年4か月ぶりに稽古し[175]、調整を続けたものの、本来の相撲勘は戻らず、初日からの休場を表明。連続休場は8場所目(全休は3場所連続)となり、横綱としては貴乃花のワースト記録を更新することとなった。稀勢の里は「場所前から必死に調整してきたが、うまく進まず休場を決めた。来場所にすべてを懸ける気持ちで頑張る。(次は進退問題が浮上する可能性に)そういう気持ちで今場所もやってきた。相撲の感覚、筋力もだいぶよくなってきた。復活できるように頑張る」と話した[176]。25日の春日部場所の朝稽古では相撲を取らず、四股などで約1時間汗を流した。「いろいろな力士と(相撲が)取れ、いい稽古ができた」と振り返った。9場所ぶりに出場を予定している9月場所に向け「いい状態で迎えられるよう一生懸命取り組む」と意欲を見せた[177]。この夏巡業は2017年秋巡業以来となる巡業皆勤となった[178]。一部報道によると、8場所連続休場の最中、12代西岩を通じて本願寺の高僧と接触し、心の鍛え方などのアドバイスを受けていたという[179]。引退がかかっていた9月場所は10日目に勝ち越しを決め、場所中に朝日新聞からは「最低限クリアすべき一山は越えた」と報じられた。勝ち越しを決めた遠藤戦は3度の「待った」の末の寄り切りでの勝利であった[180]。その後は黒星と白星が交互に並び、最終的には10勝5敗。これに対し横審の北村委員長は「ほっとしている。復活の足場ができた。まだ本来の強さではない。もろさもあった。来場所以降に向け、鍛え直して完全復活となってほしい」と話した[181]。, 11月場所前に白鵬と鶴竜が休場を表明したため、11月場所は自身初めて一人横綱として出場することになるも[182]1931年1月場所の宮城山以来、1場所15日制が定着した1949年夏場所以降では初となる横綱が初日から4連敗という記録を作り5日目から休場、来場所以降はまたしても進退を問われることとなる[183]。11月場所後の同月26日に福岡市内で行われた横綱審議委員会では、全会一致で稀勢の里に対する「激励」の決議がなされた。北村委員長は「横綱稀勢の里は、長期にわたって、その地位にふさわしい力量を示せずに、九州場所における復活に願いをかけた。ファンの失望は大きい。本委員会は委員会規則に定められた『激励』を決議し、稀勢の里自身が決意した来場所での再起に期待する」と会見で述べた[184]。, 2018年11月場所は5敗10休の内容であったものの、白鵬と鶴竜が全休したため2019年1月場所は東正横綱と番付され出場。初日の小結・御嶽海戦は立ち合いから左差しを狙ったものの阻まれ、御嶽海の巻き替えで懐に入り込まれ押し出しで敗れる。2日目の西前頭筆頭・逸ノ城戦は押し相撲に出たが、逸ノ城にいなされはたき込みで敗北。3日目は同い年(花のロクイチ組)の東前頭筆頭・栃煌山に立ち合いからもろ差しを許して寄り切られた。この結果2018年9月場所から不戦敗を除き8連敗となり、横綱としては貴乃花を抜きワースト記録となった[185]。, 2019年1月16日(1月場所4日目)の朝、師匠の田子ノ浦は、前夜に稀勢の里本人から引退の申し出があったことを明らかにした[186]。同日、稀勢の里は日本相撲協会理事会で現役引退と年寄「荒磯」襲名を承認され、田子ノ浦部屋付きの親方となった[187]。国技館内で[187]同日に開いた記者会見では在位12場所の短命横綱に終わるも、「土俵人生に一片の悔いもない」[187][188]と涙ながらに述べ、支えてきた人々への謝辞を繰り返した[189]。また、記者の問いに答えて、先代の師匠(元横綱・隆の里)への思いや、指導者としての抱負を語った[189]。, 尚、横綱としての成績は36勝36敗97休(不戦敗を含む)であり勝率は5割だが、これを下回るのは前田山(24勝27敗25休)のみとなっている。, 2月10日、両国国技館で開催された日本大相撲トーナメントでテレビ解説者デビュー。現役時代の寡黙なイメージと乖離した饒舌さから、朝日新聞も驚きを持ってその様子を伝えた[190]。本場所のNHKでの解説は、大阪府立体育会館での春場所7日目(3月16日)より参加[191]。, 2019年3月場所前の相撲誌の記事によると、引退から数日後にはすでに髙安に胸を出せるように筋力トレーニングを再開していたとのこと[192]。, 2019年9月29日に両国国技館にて断髪式を行った。断髪式には元横綱・日馬富士のダワーニャム・ビャンバドルジや父の貞彦をはじめ、横綱・白鵬や弟弟子の大関・髙安など約300人がはさみを入れ、最後は師匠の田子ノ浦親方が止めばさみを入れた[193]。元日馬富士は荒磯に「しっかりとした育成をして、けがをしない力士を育ててほしい」と期待を寄せた[194]。, 2020年3月25日に新たな職務分掌が発表され、指導普及部から広報部に配属[195]。, 基本的にはおっつけを武器とした押し相撲と左四つに組む四つ相撲を中心とした取り口である。, 元々は突き押しを武器に出世し、特に左からのおっつけは幕内でも1、2を争うほど強烈で立合いを制した時はそのおっつけだけで相手を浮き上がらせ、そのまま一気に土俵の外に持っていくこともある[197]。, また番付を上げていくのと同時に左四つの型を身につけ[198]、大関昇進以後は左四つ右上手が絶対の型と言われるほどになった。大関昇進から半年が過ぎたころ、北の湖からは「まわしをつかんだまま手首をひねればいいんだぞ。そうすれば相手の状態が傾いて右上手が近くなる」と左下手の使い方を教わった[30]。, 下半身の粘り、腰の重さが身上で腰高や脇の甘さゆえに相手に二本差されたり、上手を取られ頭をつけられたりする絶好の体勢を許して土俵際まで追い込まれても負けることが少ない。逆に攻める方の頭が上がり、形成を逆転されるケースが多い。白鵬は土俵際逆転の投げ、突き落としでしばしば稀勢の里相手に星を落としている。また、片足一本で残すことも多く、横綱になってからも棒立ちで右足一本を残して勝ったことがある(2017年5月場所3日目の千代の国戦など)[199]。, また土俵際に追い詰められたときの左からの突き落としも強烈であるが、これが出るときは得てして立合いに失敗して中に入られたときであり、相撲内容としては決していいとは言えない。, 弱点としては脇の甘さと腰高、そして「豆腐」と揶揄されるほどの致命的なメンタル面の弱さが挙げられる[200]。メンタル面については多くの相撲界OBや好角家から言われており[201]、特に優勝のための大事な一番などになると極端に動きが悪くなることで知られる。一方、本人は引退後に「ぶつかり稽古では、先代への恐怖心、見てくれているという意識から限界を超えて押すことができた」と、稽古場ではむしろ精神力で限界を突破していたと話している[34]。, 器用な力士とは言いがたく、喧嘩四つの相手には差し手争いで手こずり自分の型になるまで時間がかかることが多い。また絶対の型である左四つ右上手の型になってからの攻め手が基本的に寄りしかなく、先述のように腰高でもあるため、なかなか寄り切れずに勝負をつけるのに時間がかかることも少なくない(それでもこの型になればほぼ負けることはないため、絶対の型であることに変わりはない)。, 碧山のような強烈な突き押しを持つ力士に対しては、時折まともに受けてしまい、土俵を割ってしまうこともある。いいときは横綱相手にも互角以上にわたり合えるが、悪いときは平幕相手にも呆気なく取りこぼす。このようなメンタル面の弱さと力士としての不器用さが、実力がありながら初優勝までに89場所、優勝次点12回を要した要因であると言える。, 立合いは合わせづらい傾向にあり、例として2014年3月場所12日目の白鵬戦では3度の「待った」が記録され、取組後に伊勢ヶ浜審判部長から厳重注意を受けた[202]。, けがの少ない力士であり、初土俵から横綱に昇進した翌場所の2017年3月場所まで休場は一度しかなかった(その一度は千秋楽での不戦敗なので、星取表に休場を表す「や」と記載されたことは一度もなかった)。稀勢の里がけがに苦しまず相撲を取れているのは、関取になるまで廻しを一切取らなかったこと、入門後も13代鳴戸から既成の食品をほとんど与えられなかったことによる[25]。たとえけがをしてもよほどのことがない限りそのまま出場する力士でもあり、これは13代鳴戸の教えにもよるが、2014年1月場所千秋楽の休場を心底後悔していることも大きい[203]。また、外国人力士に対抗するには精神面しかない、つまり絶対に休まないという考えにもよる[30]。しかし前述にもある通り、2017年3月場所の負傷以降は、負傷箇所や負傷箇所をかばったことによる別箇所の負傷とけが続きで、これに伴う体重増加、成績不振も加わり、2017年5月場所から2018年7月場所まで8場所連続の休場(うち4場所全休)となり、2017年5月場所の休場以降、皆勤したのは2018年9月場所のみとなっている。, 土俵下での様子の変遷については作家の乃南アサが雑誌で話しており、稀勢の里が同世代の力士である朝青龍に出世において水を開けられたころに関しては「そのころ、キセノンは土俵下で取組を待っている間に、目をぱちぱちさせて、まばたきの回数が増えていき、顔面も紅潮してきて」と語っていたが、その後大関時代後半に至った稀勢の里については「ところが、そのまばたきが、だんだん減ってきたんです。紅潮もしなくなった。近頃は例のアルカイックスマイル」と話している[204]。, 2017年3月場所を見た元黒姫山の論評では、研究してくる相手には相手の立合いをフェイントでかわすこと、出足鋭くぶちかましてくる相手には張り差しで機先を削ぐことなどを助言している[205]。, 「体重を増やしすぎではないか?」と言われることもあるが、調子のいい場所ではその体で低く構えて取り、土俵際でかわされることがなくなるなど、体の大きさに動きがついてくる[206]。2017年5月場所3日目、白鵬は取組後に稀勢の里について「ちょっと太り過ぎという印象だね。重い感じあるね。だから(土俵際)残せているんだろうけど」と指摘していた[207]。, 左肩を負傷してからは右肩の使い方が課題になり、舞の海も2017年7月場所前のコラムでそれについて言及している[208]。朝日山(元関脇・琴錦)は同時期の週刊誌の記事で、けがを考慮して突き押しに戻るべきではないかと意見している[209]。2017年11月場所9日目の宝富士戦などは右上手が十分になるまで我慢できなかったため、宝富士に下手投げを打たれて敗れている[210]。その後、突き押しに回帰することなく引退したが、2019年3月場所前に14代ニ子山は自身のコラムで「もうそういうことができる体ではなかったのかもしれません」と個人の感想を述べている[211]。, 2017年10月13日の秋巡業長野場所では貴乃花巡業部長から「先々代(初代若乃花)、先代(元横綱隆の里)のように大きく両腕を広げ、ひじを張って大きく仕切れ。左を差したら肩まで深く入れろ」とアドバイスを受けた[212]。この秋巡業中は左脇を固めて左を差す相撲を試しており、取り口のモデルチェンジを模索していた[213]。, 2018年に入ってからは全盛期のように腰高の状態で残せる相撲というものがなくなったため黒星を多く呼び込み、土俵際の突きに屈するなど相撲勘も衰えた[167][214]。そんな稀勢の里に対して、2018年3月場所前に舞の海は自身のコラムで、組み止めやすい髙安とばかり稽古するのではなく、動き回る力士と稽古を積んで横の動きに対応できるようにすべきだと助言している[215]。さらに、二本差されたり上手を取られた場合でも残せていた場面で残せなくなることもかなり多くなっていった。結果として引導を渡す結果となった最後の対戦相手ももろ差しの名手としても知られた同期生の栃煌山であった。, 2018年9月場所前の記事では花田虎上から「心に張りがない」「負け越しを恐れずに必死に出続けるべきだ」「相撲の稽古で筋肉を作る必要がある」という趣旨の意見を出された[216]。同時期、14代二子山はこの時期の稀勢の里について「私が現役のころ、稀勢の里が幕内上位に上がってきたときに何が嫌だったかといえば、稀勢の里の下半身の強さでした」と現役時代の自身の実感を踏まえたうえで「上半身が大きく、下半身を少しおろそかにしているのではないかと個人的には思っています。ですから、相撲を取って相撲勘を取り戻すのもいいですが、稀勢の里には下半身をガンガン鍛えてほしいですね」と話していた[217]。, 横綱時代は不調のときほど好調をアピールする癖があり、引退に際しての記事には「やせ我慢の美学」と評された[34]。無理に出場しては途中休場を繰り返した原因として、本人は「横綱昇進以前まで休場を1回しか経験しておらず、休場に抵抗があった」という内容の説明をしていた[218]。, 下半身の弱体化に関しては、四股をおろそかにしていた点に原因を求める声もあった[219][220] 。, ここまで横綱時代に不振を極めていた原因としては、それだけ左差しの強さに依存していたからという指摘もあり、本人も「右は添えるだけだった」と認めている。生命線の左腕は、横綱時代に負傷して以降は左肩を後方に反らして背中の方へ傾いたところで動かなくなるほど可動域が狭まっていた[218]。なお、2017年3月場所の強行出場によってけがが悪化して引退につながったという見方については、本人が因果関係を否定する[221]一方で「時間を戻せるのならば、2年前の4月に戻したい。手術をするか否かなど、じっくりと考えたかった」とも2019年の記事で述べている[222]。, 2019年3月場所前の記事で花田虎上は、横綱になるまでの間に休場の経験が不足していたことからけがとどう付き合えばいいのかわからなかったのだとして指摘している[223]。また、引退から1年後の稽古では、自身より7歳年下の朝乃山に16勝1敗と圧倒し、「やはりじっくりと怪我を治したほうが良かった」と指摘された。, 左腕の腕力がとくに優れており、白鵬相手でも立ち合いを制すと、おっつけで一気に土俵の外に持っていくことも可能だった。, (カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数、太文字は2020年9月場所終了現在、現役力士), 愛称「キセノン」は作家の乃南アサがツイッター上で「キセノン」を連呼したことによって一般化。, Sports Graphiv Number PLUS April 2017(文藝春秋、2017年4月10日)p21-22, Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p.22, Sports Graphiv Number PLUS April 2017(文藝春秋、2017年4月10日)p14-16, Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p.14, 勝った栃ノ心は「大関は心の中で緊張していたのではないか。自分は気合が入ったけど、緊張はしていなかった」とコメントを残している。, このほか、日本国籍取得者として大関時代の1996年に日本国籍を取得し1999年5月場所後に横綱に昇進・2003年11月場所で引退した, サンケイスポーツ特別版「祝誕生!第72代横綱稀勢の里」P10~11 2017年2月6日発行, Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p.25, Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p.18, Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p.24, ただし不戦勝が1回、不戦敗が2回あるため、実際に土俵上で対戦した回数としては63回(史上2位は日馬富士-琴奨菊戦の62回)。, Sports Graphiv Number PLUS April 2017(文藝春秋、2017年4月10日)p91, “新横綱・稀勢の里効果!白星発進で視聴率も初場所初日から2・2ポイント上昇の17・6%”, http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170313-OHT1T50064.html, 【隆の里から稀勢の里へ】腸ねん転で緊急入院「オレなら休まない」 鳴戸親方の甘え、妥協許さぬ指導 (1/2ページ), またも勝負弱さ見せた大関・稀勢の里に北の湖https://vt.tiktok.com/Ueo1vV/が大甘発言, 稀勢、優勝ゼロで年間最多69勝 安定感と勝負弱さ「喜んでいいのか、悔しがったらいいのか」, http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2017/01/25/kiji/20170125s00005000116000c.html, 稀勢、鬼の化粧まわしで教え受けた!芝田山親方が「雲竜型」伝授 サンケイスポーツ2017年1月27日, 稀勢の里“正統派”土俵入り継承 不評の白鵬とは違う「手のひらは上に向ける!」  夕刊フジ2017年1月27日, http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2017/03/25/kiji/20170324s00005000393000c.html, http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2017/03/26/kiji/20170326s00005000282000c.html, 【稀勢の里 3連覇を阻む壁】異常な“増量”の吉凶 強くはなるが鈍くなる…負傷の足枷になる可能性も (1/2ページ), 【稀勢の里 3連覇を阻む壁】異常な“増量”の吉凶 強くはなるが鈍くなる…負傷の足枷になる可能性も (2/2ページ), 稀勢の里、総見を“無断欠席” 師匠が失念に広報部長「こういうのは困る。大関とは違う」, 稀勢の里、横綱で87年ぶり初日から4連敗 行司軍配差し違えで平幕栃煌山に金星配給/九州場所, https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201901150000461.html, https://www.asahi.com/articles/ASM1J2VGLM1JUTQP004.html, http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019011702000072.html, https://web.archive.org/web/20190116120525/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190116/k10011779771000.html, http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/sumo/news/CK2019011702000176.html, 「夢は見るものではない。自分は、力士。土俵で表現する。」大関・稀勢の里(29歳) スポーツ人間模様, “【一問一答】元稀勢の里・荒磯親方「時間を戻せるならば…2年前の4月に戻したい」”, https://www.daily.co.jp/general/2019/02/07/0012044391.shtml, 稀勢の里「よく校長室に呼び出された」 地元で小学生時代の教頭とトークショー (2/3ページ), 初場所幕尻優勝! 德勝龍が元・稀勢の里の「麺抜きラーメン」に驚愕した8年前の夜(2/2ページ), 荒磯親方「間違いない」高安の大関返り咲きに太鼓判 2019年12月30日18時45分, Bashos and results of Kisenosato in Juryo and Makunouchi, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=稀勢の里寛&oldid=80428700, 横綱・白鵬には16勝44敗と大きく負け越している(ただし、白鵬から10勝以上勝利している力士は2018年現在、朝青龍・琴欧洲・日馬富士・稀勢の里の4名しかいない)。2008年11月場所から2010年9月場所まで11連敗を喫していたが、2010年11月場所では寄り切りで勝つとともに白鵬の連勝を63で止める大金星を挙げた, 大関・貴景勝には2勝3敗とほぼ互角である。いずれも貴景勝の大関昇進前における対戦成績である。, 元大関・琴奨菊には30勝36敗(不戦勝1回・不戦敗2回)と拮抗しながら負け越しているが、2012年5月場所から2013年3月場所まで5連勝していた。しかし2013年5月場所では寄り倒しで敗れて、幕内初優勝の可能性がなくなった, 栃煌山には25勝17敗と勝ち越し。稀勢の里の大関時代は16勝10敗だったが、横綱時代は1勝3敗と分が悪くなり、3敗はすべて金星献上。2019年1月場所3日目、平幕・栃煌山に寄り切りで敗れた取組が、稀勢の里の現役最後の一番となった。, 勢には16勝1敗と勝ち越しており、稀勢の里の大関時代は14戦全勝だった。だが、稀勢の里の横綱昇進後は1勝1敗で、勢とは初顔合わせから15連勝だが、2017年7月場所5日目で初黒星・金星供給となった。, 格下の中でも特に碧山を苦手としており、13勝6敗と勝ち越してはいるものの、2014年の対戦成績は1勝4敗と大きく負け越していた。その後は稀勢の里の方が勝ち越してはいるが、たびたび土をつけられていた。, 逸ノ城も苦手としており、通算対戦成績では8勝7敗とわずかに勝ち越しているが、横綱昇進後は逸ノ城に一度も勝てず4連敗(うち3敗は金星供給)で終わった。, 元横綱・日馬富士には24勝37敗と大きく負け越している。特に2009年3月場所から2010年9月場所まで10連敗を喫していた。日馬富士の横綱昇進後は、2013年3月場所から5連勝したことがある, 元大関・千代大海には8勝13敗と負け越して いる。初顔から2007年11月場所まで10連敗していたが、2008年以降は一転して8勝3敗と稀勢の里の方が大きく勝ち越している。稀勢の里の兄弟子の若の里も千代大海には5勝26敗と大きく負け越している。, 元大関・魁皇には16勝12敗と稀勢の里の方が勝ち越している。特に、2009年1月場所から11月場所までは6連勝していた。しかし、その後は2010年5月場所から2011年1月場所まで4連敗を喫していた。, 元大関・琴欧洲には15勝27敗と大きく負け越している。2009年1月場所から2010年9月場所まで10連敗を喫したこともある, 元大関・琴光喜には12勝11敗と互角である。初顔から2007年までの対戦成績は2006年11月場所から2007年5月場所まで4連敗を喫するなど3勝8敗と大きく負け越していたが、2007年7月場所の千秋楽には前日まで朝青龍と1敗で並び、優勝を争っていた琴光喜を突き落としで破り、琴光喜の優勝のチャンスを阻む星を挙げた(この場所は結びで朝青龍が勝ち、朝青龍が優勝している)。2008年以降は2008年11月場所から2009年7月場所まで4連勝をするなどして9勝3敗と一転して大きく勝ち越している。, 元大関・把瑠都には6勝21敗と苦手意識で大きく負け越しており、2012年5月場所では千秋楽に対戦して上手投げで敗れ、優勝決定戦の進出を逃した, 元大関・豪栄道には26勝15敗(不戦勝1あり)と大きく勝ち越している。ただし、稀勢の里が大関時代での成績は18勝12敗(不戦勝1あり)、横綱時代では2018年9月場所千秋楽に対戦の1敗のみ。, 稀勢の里はSNSを、力士の神秘性、相撲の伝統文化ならではの敷居の高さを損なうとして、むしろ嫌っていた。なお、稀勢の里の引退後、2019年11月に1人の関取が, 2017年1月場所後、優勝と横綱昇進を記念したパレードが企画されていたが「ちゃらちゃらしたくない」と辞退、代わりに江戸川区小岩小学校での優勝報告会を行った, 2017年5月13日、同5月場所の土俵祭りと優勝額贈呈式が行われた。稀勢の里は同年の1月場所、3月場所を連破し一度に2枚の額を受け取った。同一力士が2枚同時に受け取るのは2015年5月場所前の白鵬以来2年ぶり。日本出身力士に限ると1996年9月場所前の貴乃花以来21年ぶり。大関と横綱での優勝額を同時に受け取るのは1962年1月場所の, 2017年7月場所を前に、白鵬、日馬富士、稀勢の里、鶴竜の4横綱が1日、名古屋市の, 幕内最高優勝2回に対し、次点を12回記録している。結果だけ見ると優勝者に続くものの、14日目までに2~4敗して肝心の優勝争いから事実上脱落していることが多く「勝負弱い」とされる原因ともなっている。, 2014年1月場所14日目の夜、7 - 8年前より通っていた洋食店でマスターに対して「俺、明日休場するんですよ」と漏らした。稀勢の里の重大発言を聞いたマスターは言葉を失ったという, 2017年10月19日にご当地巡業となる秋巡業筑西場所が行われたが、それまで稀勢の里は, 2019年9月29日の引退相撲では横綱土俵入りで2度目の四股を踏んで右腕を横に広げた際、左足を右足に寄せる所作が遅れるというミスを犯した。2017年1月に明治神宮で新横綱として望んだ奉納土俵入りでも同様にこの左足を寄せる所作を忘れた。荒磯は「くしくも同じミス。最初と最後が同じ。初心に戻ったよ」と苦笑いを浮かべた, 13代鳴戸親方は食について強いこだわりを持っていたが、稀勢の里自身はそういったものを持たない。実際のところ13代鳴戸の死後、おいしいと思ったものを食べ続ける食生活を送っており、特に麺類は同じものを食べ続けている, 2017年2月12日、茨城県近代美術館で始まった企画展「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」を鑑賞し、トークショーを行った際に、「馬が好きで猫が苦手と聞きました。なぜですか」と質問され、「猫と触れ合う機会がなかったもので。今後触れ合う機会を作って好きになっていきたい」など答えた, 13代鳴戸は「野球は商売敵」として部屋の衆に野球観戦を禁止していたが、稀勢の里は二軍時代の, 13代鳴戸の教えとして今でも心に残っているのは「心の上に刃」と言われたこと。花道で勝った関取が付け人とグータッチを行うことなどは「あんなのはヤバいですよ」と言っている, 稀勢の里の父は晩婚であり、稀勢の里は父が40歳のときに生まれたため、横綱昇進後の稀勢の里に関して「寛の結婚観からすれば、現役でいる間は結婚しないでしょう。決して器用な男ではありませんから。結婚と相撲、両立はできませんよ。今は本人が相撲だけに邁進したいはず。綱取りは成し遂げましたが、まだまだ本人も、納得いく相撲は取れていないんですから」と雑誌の記事でコメントしている。さらに「じつは私も結婚して彼の親になったのは40歳のときでしたよ。それに何より、師匠の鳴戸親方にしても、現役中は独身を通していた。そういうことも寛は、横綱はよく知っているんです。まあ晩婚が当たり前の時代ですから、いまどき男は40歳までに結婚すればいいでしょう。あと10年は相撲道に専心してもらいたい」と続けた, 大関昇進後、中学時代の同級生の女性と交際していたが、横綱昇進後に父からの進言などから相撲に専念するために別れた, 2017年4月の報道によると、27平米で家賃月8万円の1Kマンションで暮らしており、食事は基本的に付き人に手伝ってもらいつつ自炊するという。また、このころはラーメンにも凝っており、外食する場合はこってり系の太麺の店に通うという, 部屋が小岩に移転した当初は田子ノ浦部屋が移ってきたことすら知らない人が多かったが、それから2年半で初日前日に呼び出しが各商店などを回って取組を呼び上げる「触れ太鼓」の数は一気に増えた。最初の数軒から、2017年1月場所は14軒、5月場所前は17軒になった, 父は稀勢の里が横綱昇進を果たしたあとの記事で、あくまで夢であると前置きしたうえで、稀勢の里をヘビー級プロボクサーとしてアメリカに留学させてラスベガスで試合させるのが一番の希望であったと語っている, 朝日山は稀勢の里の性格について「なかなか人の言うことを聞かないからなあ(笑)。不器用な性格なんです。力士の友達もほとんどいないし、まさに一匹狼。そういう稀勢の里も大好きなんだけど、もっといろんな人の意見を聞いてほしいね」と語っている, 2019年末に都内で行われたトークショーでは「力士でなかったら」という質問に「恐竜博物館の館長」と答えた, 三役在位:22場所(関脇10場所、小結12場所)(三役在位、小結在位は横綱経験者としては最多), 殊勲賞:5回(2006年9月場所、2008年1月場所、2010年11月場所、2011年1月場所、2011年9月場所), 朝青龍1個(2008年1月場所)、白鵬2個(2008年9月場所、2010年11月場所).

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